体験記
死体から遺体へ 静かな河川敷で〈第一発見者〉になった体験

Glass Story
先日、晴天の昼下がり、河川敷を散歩していたら、浅瀬で仰向けになった中年くらいの男の死体を見つけた。
距離は10m程度だったと思う。
僕の視線は、まず靴の先、そして紺の作業服のような服装の表面をなぞり、水面から出た暗く青ざめた顔色を捉えた。
見た瞬間、死体だ、とわかった。不思議と確信があった。
その辺りは、水流が穏やかで静かな、お気に入りの場所だった。心を癒してくれる、数少ない、ほっとできる大切な空間だった。
昼、太陽の光が反射する爽やかな川面に、一瞥しただけではっきりと感じ取れる異色の空気が漂っていた。
僕は、それが死体であると察知して、ほとんど条件反射的に視線を逸らした。
だから、僕の記憶に残っているのは、その視線を逸らす直前の亡骸の姿だけ。今でも、その川のもの静かで穏やかな風景と、不自然な暗い影(オーラとしか言えないような、ざわざわとした黒い影)のコントラストが脳裏に焼きついている。
一瞬、見なかったことにしようか、と思った。
事件の第一発見者にでもなったら、今のこの病体では到底耐えられない。僕の見たものは人形だったのかもしれない、と思いながら現場をあとにした。
でも、歩くたびに横たわった男の映像がよぎり、軽い動悸に襲われた。
結局、家に戻ってから110番に電話した。
近所の子供たちや若者に、自分の小心のために余計なトラウマを背負わせたら申し訳ないし、その亡がら自身が、閉じたまぶたの裏から、「無視しないで」と呼びかけてくるように思えたのだ。
1、1、0 というボタンを押すのも、僕にとって始めての体験だった。
電話はすぐに繋がり、年配の女性の声で、事件ですか、事故ですか、と訊かれた。「分からないんですが、たぶん、死体を見つけたと思います」と答えた。
それから、大まかな場所を伝えると、いったん電話を切った。
しばらくして再び警察の方から電話が来た。
もしかしたら人形だったかも、というかすかな願いも空しく、「残念ながらお亡くなりになっていました」という哀れみの混じったような沈んだ声が聴こえてきた。
その後、幾つかの質問に答えた。たぶん自殺だったんじゃないか、と僕は思っている。遺体の空気がとても寂しそうだったから。警察側も、少なくとも事件性はないと判断したのか、ごく簡単な質問だけだった。
そして、「ご協力ありがとうございました」「再度かけるということはないと思いますので」と言って淡白に電話は切れた。
翌朝、もう一度、その小道を歩いた。
生い茂った草むらからピチピチという鳥の鳴き声が聴こえてくる。ゆったりと流れる川を、数羽の鴨が並んで泳いでいる。段差となったコンクリートの堤防の上に、2、3人の釣り人が座って浮きをぼんやりと眺めている。
昨日、確かに存在感を放っていたはずの、あの黒ずんだざわざわとした空気は嘘みたいに消え去っていた。
静かな、穏やかな、いつもと変わらない、優しく美しい景色が広がっていた。
蛇行しながら山並みに向かって伸びていく上流に視線を向けながら、「ああ、この川を、新年が始まったばかりの冷たい冷たい冬の川を、一人で流れてきたんだな」と思いを巡らせた。
もちろん、死因は分からない。
彼のことを何一つ知らない。よほどの奇跡でもないかぎり、生前にすれ違ったことさえないだろう。
ただ、僕と同じように、この世界の誰かが、両親として彼を生み、初恋を経験したり、喧嘩したり、涙が零れたり、孤独に喘いだり、絶望したり、そんな風に長い長い人生をたどって、こうして、あの小魚がきらきらと光る浅瀬に、そして、僕の記憶の風景に流れ着いたんだな、と思うと、なんだか胸が苦しくなる。
お疲れさまでした、と祈るように僕は思う。
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